シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

「息子よ、稼ぎには二つの種類があるということを知っておきなさい。ひとつはお前が求める稼ぎ、もうひとつはお前を求める稼ぎだ。」

 
 以下の文章は、インターネットの生存戦略としても、現代人の智慧としても、私には説得力のあるもののようにみえるので、写経して飾っておくことにした。
   

 欲望は満たすことができず、運命で定められた人生を超えることはできないということを確かなこととして知っておきなさい。お前は自分の前にあるものを求めている。だから、求めることは謙虚に、手に入れることはほどほどにしなさい。なぜなら求めることは往々にして失うことにつながるから。稼ぎを求めるものはそれを得ることはなく、求めることをほどほどにするものは奪われることはない。卑しいものからは距離を置くようにしなさい。たとえそれらのものがお前の欲望する目的へと導くとしても。なぜなら、お前がそのようなものを大切にした見返りとしてお前が得るものはないだろうから。他人の奴隷となってはならない。なぜならアラーがお前を自由にしたのだから。悪によって獲得された利益にはよいところなどなく、困難によって獲得された安楽にもよいところなどない。
 (中略)
 息子よ、稼ぎには二つの種類があるということを知っておきなさい。ひとつはお前が求める稼ぎ、もうひとつはお前を求める稼ぎだ。二つめのほうは、お前のほうから近づくことはできないが、向こうからお前のところにやってくる。貧しいときに身をかがめ、富めるときに荒々しいのはなんと困ったことか。お前が定住する場所を飾ることができるものだけを手に入れなさい。お前の手から失われたものについて嘆くなら、そもそもお前のところにやってこなかったものを求めて泣きなさい。
 (ナシア・ガミー『現代精神医学原論』P170 より)

 この書籍は、イラン人の精神科医によって書かれた大部の本だが、そのなかに、シーア派スーフィズムについての記述があった。執着や欲望をどう見るか(とりわけ精神科医がどう見るか)について書かれたなかに抜粋されたこれは、執着についての東洋的な捉え方の一例として登場する。
 
 上記抜粋の内容を破って生きるほど、執着は苦しくなり、ここに書いてあることを遵守するほど執着は軽くなるだろう。主観的な幸不幸の感覚をコントロールする智慧の、典型的な一例だと思う。仏教じゃなくてもちゃんとあるやん、と思った。
 

語尾にwをつけずにいられない人達 in 2017

 

2000年頃からずっと思い続けてきて、なおかつ時間が経てば経つほど確信せざるを得ないことがある:それは、いつもいつでも語尾にwをつける習慣がついているアカウントは、自分の発言に逃げ道を用意しておきたいヘタレである、ということだ。
 
 ただし、例外はあって、ニュー速vipの独自文化と、ネトゲのチャットのように「早指しが必要なのでメッセージを簡略化するインセンティブが明確な場合」。しかしそうでない場合は、語尾にwをつけることを愛好している人間を見たら、「この人はヘタレなのかなぁ」「どうしてこの人はwを語尾にわざわざつけるのかなぁ。その動機は何なのかなぁ」という点をよくよく点検する価値があると思うし、その発言の重みについて十分な検討が必要のようには思える。

 
 これを私が書いたのは2010年頃と思われる(記憶媒体の最下層から拾ってきた)。その後、wをtwitterなどの短文の語尾に頻繁につける人達は、やはりエクスキューズを常に残しておきたがる人のようにみえる。他方で、wやwwwwの用法はネットゲーム的・2ちゃんねる的なネット民俗を逸脱し、かなり幅の広い使われ方をするようになった。wやwwwwを語尾につけている人が精神的に必ず逃げたがりとは限らない。しかし、アカウントを15分も精読すれば、文章は、その人物の構えや佇まいを滲み出させてやまないのだから、この識別法がダメになったからといって、インターネットがそのぶんややこしくなったとは言えない。
 

小児性愛障害Pedophilic Disorderの診断的特徴に書かれていること

 

DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル

DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル

 
 
 私の近所のインターネットで「小児性愛」「ペドフィリア」といった言葉を何度か見かけたので、以下に、アメリカ精神医学会のDSM-5における小児性愛障害について、診断基準と診断的特徴を引用・列挙して写経しておきます。
 
 
【診断基準 302.2(F65.4)】

A.少なくとも6か月にわたり、思春期前の子どもまたは複数の子ども(通常13歳以下)との性行為に関する強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する。
B.これらの性的衝動を実行したことがある。またはその性的衝動や空想のために著しい苦痛、または対人関係上の困難を引き起こしている。
C.その人は少なくとも16歳で、基準Aに該当する子どもより少なくとも5歳は年長である。
(注:青年期後期の人が12~13歳の子どもと性的関係をもっている場合は含めないこと。)

 【診断的特徴】
 
 小児性愛障害の診断基準は、このパラフィリアを打ち明ける人と、明らかな客観的証拠にもかかわらず思春期前(一般に13歳またはそれ以下)の子どもへのあらゆる性的誘惑を否定する人との両者に適用することを意図している。このパラフィリアを告白する例としては、子どもへの強度の性的関心を素直に認め、子どもへの性的関心は身体的に成熟した人への性的関心よりも強いか同等であると述べる場合も含む。子どもへの性的誘惑や好みが心理社会的困難を生じていると訴えている人も、小児性愛障害をもつと診断してもよい。しかし、これらの衝動についての罪悪感、恥辱、または不安の意識がないことを告白し、(自己報告でも客観的評価でも、あるいはその両者でも)パラフィリア的衝動によって機能的な制限がないならば、さらに自己申告と法的に記録された履歴により衝動に従って行動したことがないと示されているならば、その人は小児性愛的な性的指向をもってはいるが小児性愛障害ではない。
 子どもへの魅惑を否定する人の例には、異なった機会に複数の子どもに対して性的な接近を行ったことが判明しているが、子どもに関する性的行動についての衝動や空想は否定する人、さらに、判明したエピソードや身体的接触はすべて故意でも性的でもないと主張する人が含まれる。また他の人は、過去の子どもに関する性的行動のエピソードを認めるが、子どもに関する衝動や空想を経験していることを否定するであろうから、主観的に苦痛を感じていることも否定するであろう。このような人は、自ら報告した苦痛がないにもかかわらず、6カ月にわたり行為を繰り返した(基準A)という証拠と、障害の結果として性的衝動に基づいて行動したか対人関係の困難を経験した(基準B)という証拠がある場合には、小児性愛障害と診断してもよい。
 上述したように、被害者が複数存在することは診断の十分条件となるが、必要条件ではない。つまり、強烈なまたは選択的な子どもへの性的関心を認めることによってのみ、その人が基準Aを充たすとしてよい。
 小児性愛の兆候や症状が6カ月以上持続しているという基準Aの一節は、子どもへの性的魅惑が単に一過性のものではないということを保証しようとするものである。しかし、6カ月の持続期間が正確に判断できない場合でも、子どもへの性的魅惑が持続していたという臨床的な証拠があれば、この診断を下してよい。
 
 【診断を指示する関連特徴】
 
 思春期前の子どもを描いたポルノグラフィーを過度に用いることは、小児性愛障害の有用な診断的指標である。これは、人は自分の性的関心に応じた種類のポルノグラフィーを選ぶ傾向があるということの一般的な事例の特別な例である。
 
 ※有病率、症状の発展と経過、そのほかいろいろについては、書籍のP692以降を読んでやってください
 ※こういう、診断的特徴に描いてある細々としたことが、診断基準の一覧だけ眺めていてもピンと来ないことを補ってくれて滋味深いので、DSMの診断的特徴の読み物はすごく良いんじゃないかなぁ、としばしば思います。
 

【ブログ=金儲け】みたいな空気と戦っていこう(旧)

 
 「ブロガー」という言葉は、十年前と今とでは大分違う。
 
 どちらもまあ、馬鹿なことをやっているネットのお調子者というのは違わない。だが、どういう馬鹿なのか、どういうお調子者なのかについては、だいぶ気色が変わってしまった。
 
 「俺はブロガーだよ」と名乗ると、今はどう思われるだろうか。
 
 「ネットに読みやすい文章を書いて金儲けする人」というイメージが、今ではあるのではないだろうか。
 
 実際には、金儲けしたくでブログをやっている人間なんて全体のなかの少数に過ぎないわけだが、声の大きな人達のご活躍によって、ブロガーという言葉には、マネタイズの色彩がすっかりと染みついてしまった。これは、たぶんユーチューバ-とかニコ生主とか、そのあたりにも言えることだろうけれども。
 
 資本主義社会の歯車に、ブログというもの、動画配信というもの、インターネットというものが組み込まれていけば、そこにお金が還流していくのはわかる話だし、それは決して悪いことではない、はず、なのだろうと私も自分のアタマではわかっている。
 
 しかし、私は馬鹿は馬鹿でも素人ブロガーという種類のお調子者なので、自分がブロガーと名乗る時に、他人から「あーネットでお金儲けしてる、あのカテゴリの人種っすねー」という風にみられるのは心地良いものではない。
 
 かくなる上は、この、ブロガーという言葉に染みついた「ネット☆ビジネス」じみたイメージを、飛んできた火の粉として払い除けなければなるまい。これは、世間に向かって体当たりするに等しい愚行のような気がしなくもないが、今後私は、素人ブロガーの一人として、「ブログ=金儲け」みたいな世界線を改変するために自分にできることがあったらやっていこう、と思う。
 
 

「サロン=金儲け」もなぁ……

 
 ちなみに、ここ数年の諸々で「サロン」という言葉も随分とカネ臭い気色を帯びるようになってしまって、安易には使いづらくなってしまった。
 
 実は私は、何年も前から、ブロガー同士の内緒の交流場として「ブロガーサロン」みたいなものをつくりたいなと夢想していた。もちろん、ブログの執筆スキルの伝授とかコンサルなんていうものではなく、対等なブロガー同士が対等な立場で意見交換できるような、そういう場としてのサロンをつくりたかった。実際には、公私ともに自分自身が忙しすぎて、到底、そんなものはつくれなかったわけだけれども。
 
 しかし、そうこうしているうちに「サロン」という言葉は、少なくとも今日のインターネットの文脈においては「ノウハウのあるブロガーが新米ブロガーに何かを授けるのと引き換えにお金を徴収する場所」的な意味合いになってしまった。あるいは「お金を対価として相談を受けたり、有名ブロガー(笑)と直に会うチャンスを得たる場所」か。
 
 なんにせよ、今「ブロガーサロン」なんて開こうとしたら、たちまちそういうものだと思われてしまうだろう。
 
 私は、対等な立場でもって話し合えるだけの意志と能力を持った老若男女が集まれる場所として「ブロガーサロン」を夢見ていたわけだが、こうなっては、諦めるしかない。もし、私がそういう場所を作るとしたら、名称は「サロン」ではなく「結社」とか「秘密組織」とすべきだろうか。
 
 いやまあ、そんな場所をもうけるまでもなく、twitterはてなブックマーク、その他色々でもって、懇意なブロガーやネットアカウントとは相応に繋がっているのだから、わざわざ労力を払う必要などないのかもしれないが、本当は、そういう内緒の集いを作りたかったし、そこに「サロン」という、人によって華やかにもバカバカしいものにも聞こえるような、ちょっと自嘲が必要な名称をつけて「俺、シロクマは秘密のブロガーサロンの一員なのだ!」とか言いたかったのだと、最近気づいたので、こうして、インターネットを汚染する文章を嘔吐してしまった次第である。
 
 (この文章はキュレーションサイト騒ぎが起こる前に書いた。今読むと、この文章もこれはこれで牧歌的なモノの見方にみえる。インターネットの風速は、いつも早くて移ろいやすい)
 

コピペの時代

 

 
はてなシティ大字はてな村6丁目の、うらぶれた居酒屋で聞こえてきた歌】
 
 
 乾杯をしよう 若さと過去に 苦難の時は 今終わりを告げる

 血と鋼の意思で 敵を追い払おう 奪われたネットを取り戻そう

 コピペブログに死を! ネット殺しの悪党 討ち破った日には飲み歌おう

 我らは戦う 命の限り やがてソブンガルデに呼ばれるまで

 それでもこのネットは我らのもの 今こそ取り戻せ 夢と希望を
 
 

《香菜、頭をよくしてあげよう》について今更気づいたこと

  

香菜、頭をよくしてあげよう

香菜、頭をよくしてあげよう

 
 ふと、目が覚めて気付いたことを書く。
 (気付いている人は気付いていることだと思うので目新しい話ではないのでご容赦を)。
 
 筋肉少女帯の《香菜、頭をよくしてあげよう》は、サブカルに詳しい「僕」が「無邪気」で「犬以下」の香菜に、カルトな映画や泣ける本などを教えてあげて頭を良くしてあげよう……というキツい歌だ。うわー、サブカルな「僕」ってひでえ奴だなー、でもこういう男子っているよなー、とか思っていた。
 
 が、今朝はそこに目が向かなかった。
 
 ふと目が向いたのは、「僕」が「香菜が生きていくことに怯えないために」頭をよくしてあげようと言っているところだ。
 
 香菜自身は、無邪気に笑ってジャムパンを食べているような人だから、生きていくことに怯えているようにはみえない。少なくとも現段階ではそうだ。だが、「僕」は生きていくことに怯えるというワードが想起されるぐらいには、生きていくことに怯えている。そうだ、怯えているのはこの「僕」なのだ。
 
 「僕」は香菜のなかに「生きていくことに怯えている自分自身」を投影*1しているのではないか。
 
 そうやって考えると、サブカルをやって頭をよくしようとしている「僕」がサブカルをやっているのは、生きていくことに怯えないように=生きていくことへの怯えを少しでも減らすため だったのではないか。
 
 ここまで考えると、女子にサブカル知識をうんちくたれて「彼女のため」などと言っている「僕」が、気の毒になってきた。
 
 「サブカル男子にうんちくを押し付けられる女子」が気の毒なのは確かだが、「生きていくことに怯えないために頑張っているサブカル(あるいはオタク、マニアでもいい)」というのも、それもそれで凄絶だ。
 
レティクル座妄想

レティクル座妄想

 

*1:投射

シロクマ(熊代亨)の著書