シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

こっそり、村の人物評を書き殴るとしますか

 
 このはてなブログの文章は、まだ殆どの人の目につかないし、ここを覗く人間は、ほぼ全員はてな村か、はてなブログ村の村民だと思うので、余所者が覗く可能性がきわめて少ない。だから、「シロクマの屑籠」本体が引っ越してこないうちしか出来ないこと、村のコンテキストについて一緒に考えたがってくれる人間同士のためだけの文章をここで溜めようと思う。
 
 2006~2009年頃は、まだ俺がはてな村の人物評やクネクネに無我夢中になっていた時期だった。宇野常寛さんから「シロクマさんは、はてななんてすぐやめたほうがいい」と言われたけれど、実際、プロの批評家になった頃の宇野さんからみて、そういう内輪ウケ優先の、村的なブログ遊びは、さぞ無駄に見えたに違いない。実際、モノカキとして食べていくとか、そういう意識をもってブログを運営するなら、はてな村的なものに、一切言及しないのが正しい。はてな村貢献度ゼロこそ、プロというものだろう。それが今はわかる。
 
 でも、今は思う。
 俺は、やっぱりはてな村の村民でよかったんじゃないか、と。
 
 それは結果論であって、当時の宇野さんの(私という個人に対する)アドバイスが間違っていた、とは思わない。はてな村を巡る雰囲気も、また変わった。はてなダイアリーはともかく、はてなブログのほうには、今、ある種の活気、荒削りだけれど魂の籠もった文章や、洗練されすぎて気味の悪い文章、私の口には合わないようなしたたかさを湛えた文章が、新しいidをひっさげて蠢いている。でも、過去に私が知っていたはてな村も、今観ているはてな村も、因縁募ってここに立ち上がっている刹那の風景でしかなく、一年後には今よりは忘れられ、五年後には一層忘れられているだろう。
 
 風化していくこと自体は、当然のことだ。でも、この風景、あの風景、風化に任せておくほど無価値なものだろうか?
 
 俺は、ここ(=はてなブロゴスフィア)が好きだったし、たぶん、今もまだ好きだ。だとしたら、その好きな風景は残しておきたい。それが、他人から「カネのならない糞の山」のようにみえるとしても。むしろ逆だ。ブログは、その人の使い方にもよるが、カネと距離を保ちながら表現の自由を行使できる場所で、「カネのならない糞の山」とは、逆説的には「カネと距離を置ける表現の場」でもある。
 
 金銭的、あるいは言論プレゼンス的にみると、はてなブロゴスフィアは未だ糞の山であり、察するに、これからも糞の山であり続けると思われる(というより期待される)。それを残念と言う人もいるだろうし、それは否定しない。だけど、俺は、企画化&規格化されていない個人の1000~4000字程度の読み物が好きなので、そうした読み物を提供してくれた人の記憶、ブログを介して巡り会った人の記憶を覚えておきたい。だから、暇をみて、誰か彼かの主観的な見え方について、主観的なことを、記録していく。
 
 

シロクマ(熊代亨)の著書