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シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

orangestarさんへの返信(ファスト風土やブロガー往復書簡などについて)

コミュニケーション

 
 
追伸(ブクマにするには長く、コメント欄もなかったので) - orangestarの日記

 
 少し間が開きましたが、こういう往復書簡的なブログライフには飢えていたので、色々と書き込んでみます。
 
 1.ファスト風土&郊外の多様性って、あんまり論じられていないところで、その生い立ちや分布はともかく、衰退や撤退についてはそれほど整理されていません。もし、私に写真が撮れるなら、全国の国道沿いの写真集をつくりたいものです。例えばこちらの発展版みたいなやつ。
 
 普段、国道沿いをあまり見比べていない人、舐めまわすように観察していない人には、ファスト風土や郊外ってやつは、一様にみえるかもしれませんが、実際には、人口密度や地域の廃れ具合みたいなものを如実に反映しているじゃないですか。そういう違い、流行り廃りみたいなものを活写するアングルで撮れば面白いと思うんですよ。繁栄が約束されている大都市圏の幹線道路沿いと、地方の県庁所在地周辺ぐらいのファスト風土、人口10万人前後の地方都市のファスト風土、それから町村部の、TSUTAYA・しまむら・マクドナルドがぎりぎり揃っていて、イオングループが撤退して久しいエリア。そういうものを、背景にうつる山野ごと、あるいは地域文化の残骸ごと撮ったら、たぶん、風情のある代物がつくれるような気がします。
 
 「孤独のグルメ」のファスト風土版みたいなエッセイも、案外面白いかもしれません。同じような人間、同じような品揃えにみえても、西日本東日本では微妙に違うし、高齢者の挙動には地域性はまだ残っています。スガキヤみたいな風物もそれなりありますし。未来はともかく、今時分であれば、過去と近未来が錯綜した、それなりに面白い景色を捉えられそうです。
 
 ファスト風土という言葉でまとめられがちな、ニュータウンと幹線道路と商業空間の複合体は、大都市のベッドタウンではまだ当分は栄え続けるのでしょう。でも、ちょっと田舎のほうに行くと、もう息が上がっているのが手にとるようにわかるわけで、そういう、栄枯盛衰の乱反射を噛み締めておきたいものです。
 
 orangestarさんにおかれては、orangesrarさんの方法で、今感じていらっしゃる事を作品にフィードバックさせて欲しい、と願っております。
 
 
 2.さて、ブログ往復書簡的なものについてですが、こうやって同じブロガーと言葉を往復させていると、自分一人では考え付かなかったことを考え付いたり、喉から変な表現がでかかったりして、とても興奮します。最近は、こういうやりとりが出来る人も減って、もし私がやるとしたらMarginal Soldierの根本正午さん(noon75さん)が唯一お相手して頂けるかも……という感じで、寂しく思っていました。
 
 上手く表現できないんですが、ブログやテキストサイトに対して共通感覚を持っている人となら、こういう往復書簡が抵抗無く成立するような気がします。今はなきコンビニ店長とトラックバックの飛ばしあいが出来たのも、あれはネット世代感覚的なものに共通点があったからに違いありません。
 
 あとは、お互いに過去のログをある程度読んで親しんでいることでしょうか。エントリに反応するのでなく、ブロガーと呼応する、共鳴現象を起こす――ああいう感じに必要なのは、文章を読み込むこと以上に人間を読み込むことだと思います。
 
 不特定多数の読者を強く意識した記事ではなく、トラックバックの送り先の人間に言葉を届け、相互影響をつくっていくようなコミュニケーションは、昔はもっとやってましたし、それがネットコミュニケーションだとも思っていました。私のはてなダイアリーを見返してみても、2005~2006年は割とそんな感じで、「テキストサイトの人間がブログを始めた感」が漂っていたように思います。
 
 ところが、色々やっているうちに、ブログの軸がだいぶれてしまいました。現代的なスタンスになったとも言えるし、常連古参じゃない人でも読める記事を増やした、とも言えます。ともかく、一個人を狙い撃ちにするようなラブレターを書く精度と頻度は下がりました。もちろん今でも、「このブロガーをセンターに入れて、拡散ビーム砲を発射!」みたいなところはありますよ、でも、純粋に個人を狙撃するものではなく、範囲攻撃的な効果(スパロボでいうマップ兵器ですね)を意識して書くようになっているので、ローコンテキストになってしまいました。
 
 私は、ブロガーとブロガーのやり取りってのは、お互いに合意するだけが能じゃなくて、意見が食い違ったとしても、同じ話題に対して二人が勝手に喋っていたとしても、それはそれでいいじゃないかと思っています。大切なのは、合意形成でも、政治的な正しさでも、勝った負けたを競うことでもない。他のブロガーを意識しながら書き綴っているうちに、独りぼっちでは辿り着かなかった思考の軌跡を辿って、独りぼっちでは辿り着かなかったarticleを吐き出すことだと思っています。
 
 トラックバックが片思いになっていても、それはそれで良いのです。誰かが何かを読み、独りでは解けなかったジグソーパズルを解いたり、独りでは茹できれなかったスパゲティを茹でたり、そういうのが素晴らしく、有意義なことだと思っています。独りでやるなら、大学ノートがあれば十分。でも、ブログってやつは、片思いにせよ両思いにせよ、他者の存在を介して思考を練ることができる。それも、こうやって十分な文字数を費やしてです。素晴らしいことじゃないですか。このメリットは、ブログをやっている限り、捨てる気にはなれません。
 
 それと、トラックバックを参照できる状態になっていれば、第三者が応酬の軌跡をトレースすることもできます。これもこれで、たぶん素敵なことだと思っています。
 
 これら、「ぼくのかんがえたブロガー往復書簡メリット」は、リンク先でorangestarさんがお書きになったものに近いと推定しています。不特定多数を意識することもなく長々とメッセージを応酬するのは、今のネットではトレンドではないかもしれない。でも、トレンドを追いかければ良いってもんでもないと思うので、私は私なりに、良いと思うことをやっていこうと思います。テキストサイトが終わった後もそうだったように、ブログが終わった後も、きっとブログの上位互換的な何かに移行して似たようなことやっていそうです。
 
 3.ただまあ、私もorangestarさんも、年を取りました。なかのひとが年を取ったってだけでなく、アカウントも歳月を重ねたのです。そしてp_shirokumaは熊代亨として、orangestarさんは小島アジコとして、メディアで活動を行っています。
 
 ああ、それだけじゃなくて。インターネットが日向のメディアになって、アンダーグラウンドじゃなくなったじゃないですか。そういう意味も含めて、メディアの位相や相対座標みたいなものはある程度意識するようになりました。広報官みたいなブロガーが増えるのも、ある意味そういう変化があればこそですよね。ネットが舗装されれば、その舗装を前提としたプレイヤーが増加するし、舗装された道端には、そういうニッチに適合したタンポポが花を咲かせるでしょう。アスファルトや喧騒を苦手とする昆虫は、むやみに大通りに近づかないか、近づいたときだけは日向に適応するしかないのでしょう。
 
 「インターネットの日陰に行けばいい」という意見もあるかもしれませんが、最近は、日陰と思った場所が日向だったって可能性を常に考えるようになって、もしかしたらネットの日陰なんて存在しないか、間もなく存在しなくなるんじゃないかと思い始めています。そうじゃないと思いたいけれども、それぐらいの覚悟で臨むべきじゃないか、とか。
 
 つまり、ネットメディアと個人を巡る問題にすっかり絡まれているわけで、そうなると、意識せざるを得ない社会関数はどうしても増えてしまいます。なら、そういうものを意識せずとも良いクローズドなSNSでやれよって話になるんでしょうけど、mixiの時も、facebookの時も、質感が何か違う気がして受け付けませんでした。
 
 もっと遡って、メールで……って手も無くは無いですが、あれは

 ・もっと時間にゆとりのある時に
 ・テーマが相応に決まっているか、オフラインで会う直前直後に
 
 やると上手くいくような気がするので、今やるのはちょっと違うような気がします。時間のゆとりもありませんし。
 
 いずれにせよ、テキストサイト的なネット文化上だけでなく、私達自身のありようとしても、時計の針は戻せません。でも、歳月が喪失だけでなく獲得をももたらした以上、文句を言うわけにもいかないし、その時間的経過を受け入れるのが適応上もベターだと思っています。
 
 それでも、流行り廃りみたいなものとは無関係に、自分がやりたいブログライフを選ぶ自由までは損なわれていないので、ときに古風に、ときに今風に、ネットの岸辺で砂のお城をつくって遊びましょう。別に毎日やらなきゃいけないものでもないので、趣味として、思考の触媒として、私はブログを触っていこうと思います。
 
 長々と書いたにも関わらず、積もる話が残った気がするというか、むしろ増えたような気がしますが、今回はそろそろおいとまします。orangestarさん、いずれまた、お喋りをしましょう!郷愁を共有するためだけでなく、過去を生かして未来を耕すためにも。お互い、暇ではないとしても、シュタインズゲートの選択によって、いつかどこかで御縁が生じると信じています。それでは、また。
 

シロクマ(熊代亨)の著書