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シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

相手の発言からは、相手が発言した範囲のことしか窺うことができない

 ※題名を変更しました。ますます何を言っているのかわからないタイトルになったけれども、わかる人はこれで十分にわかるはずなので、このままにしておく予定。
 
 インターネットはもとより、face to face なコミュニケーションでもそうだけど、
 
 「相手の発言からは、相手が何を知っているのかを窺うことができても、相手が何を知らないのかについては窺うことができない」ってのは、社会適応上、かなり重要だと思う。
 
 相手が特定の何かに言及すれば、その特定領域について何を知っているのかが言及した範囲の限りにおいて明らかにされる。あるいは、もし、ヘマをやらかして無知を露出させたとすれば、その無知の露出の度合いに応じたかたちで相手の把握度を推量することができる。
 
 けれども、相手が全く無言及である場合や、言及していたとしても言及範囲を巧くコントロールしている場合は、言及していない事に関する限り、相手の把握度や理解度は読み取れない。自分自身の把握度や理解度が低い場合はとりわけそうだ。いや、自分自身の把握度や理解度が高度な場合でさえ、相手がどれぐらいの事を知っているのかは、相手が実際に言及した範囲内でしか推量できないわけで、結局、相手が無言及を貫いているような場合には手の内は読みようがない。
 
 このことは、インターネットアカウント上だけでなくオフラインの交流でも言えることで、相手が言及していなかったり、あまつさえ無知を装っていてさえ、「何も言っていない=知らない」とみなすのは勇み足だ。だから、言及上は自分よりも相手のほうが静かだからといって、調子に乗るのは得策ではない。そんな事をしたら、漫画やアニメの噛ませ犬のような茶番を演じてしまうだろう。もちろん、それでも大した害が無いこともある、特にオフラインでは。けれども、例えばインターネットのようなメディア的な空間では、割とアレな風景を現出してしまう可能性が高い。
 
 ここから逆算すると、ネット上での「お喋りしたがり」ってのは、沈黙を保っている博学諸氏から「こいつ、お喋りだなー」というまなざしを一身に集めることを免れない立場、とも言える。界隈の第一人者というなら話は違ってくるかもしれないが……。それでもヘッチャラな個人だけが、ネット上で雄弁を維持できるのかもしれない。鉄仮面を被ったインターネット。
 
 ※とはいえ、「沈黙している人間は何も知らないか、少なくとも知っていることを証明だてていない」というアングルのもとにコミュニケーションの盤面を動かしていく手法も無くは無いので、今日のようなコミュニケーション至上主義社会では、そのような駒の進め方も悪くないのかもしれない(えっ?何を言っているのかわからないって? でも、伝わる人には伝わるんじゃないかな、このニュアンス)。「自己主張の自由が尊重された社会においてさえ自己主張を行わない個人とは、自ら損をしたがる人間か、不合理な人間か、特段の不満を持っていない人間に違いない」的な決めつけの有効性というか。黙っている奴が必ず適応に優れているかといったら、そうでもない。もちろん、お喋りな奴が適応に優れているかというと、そうでもないが。かように面倒くさい世界を、人間個人は生きている。斑鳩のように、したたかに生きよ。
 

シロクマ(熊代亨)の著書