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シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

2015年の私にとって、理想のブログライフは何だろう?

 
不自由なインターネット?と今年の抱負 | @raf00
 
 ブログのいいところ(のひとつ)は他人のブログ記事を枕にして、自分の好き勝手なことを書けるところで、独りでは文章の書き出しに困ってしまうような話もスラスラと導き出せる。今回は、raf00さんの上記リンク先を起点に、自分が書きたいことを書きたいように書いてしまう。
 
 raf00さんは、「20年の時を経て、インターネットが“メディア”としてあるべき形を取り戻した」とリンク先で仰っている。「あるべき姿を取り戻した」と表現すべきか、それとも「あるべき姿に至った」と表現すべきかはさておいて、大筋としてまったく仰る通り。
 
 じゃあ、その“メディア”然としたインターネットで皆が何を為すのが望ましいのか?
 
 いやいや、皆の話なんて考えたくもない。私自身は一体、その“メディア”然としたインターネットで何がやりたいのか?
 
 このあたりについて、数年前からずっと考え続けてきた。私のネットライフの半分ぐらいは、まさにその“メディア”的なものを意識したものだったけれども、残りの半分はここでfujiponさんが触れているような“王様の耳はロバの耳”的なネットライフだったと記憶している。両者のアマルガムのようなインターネットが、たぶん、自分が理想としてきたネットライフだったはず。
 
 でも、世の中が変わり・なにより私自身を取り巻く環境を変えてしまったことで、そういうアマルガムのようなインターネットは遠のいてしまった。年々“メディア”然としたインターネットになっていく『シロクマの屑籠』を、私は変な気持ちで眺めつづけ、書き続けてきたと思う。八年前の私の理想は、現在の現実とは大きく食い違っている。
 
 とはいえ、行き着いた現況のなかでベストやベターを探すのがブロガーとしてまともな感覚だと思うので、現況のなかで、自分の理想に近い活動、新しい面白さを模索するのが妥当なんだろう、たぶん。
 
 

個人的に昨年「承認欲求ゲームとしてのブログはもはや不自由極まる。よって、自己の理想を追求するブログ活動に注目すべきじゃないか」と考えていました。

 でもって、raf00さんは、「自己の理想を追求するブログ活動に注目すべきじゃないか」とも仰っている。これも反論の余地の無いお言葉だ。
 
 今の私は、その“メディア”然としたインターネット上で何が自己の理想と呼べる活動なのか、それもわからなくなってしまった。メディアとも洞穴ともつかないインターネットではなく、2015年のインターネット“メディア”上で、私は自分が何をやりたいのか焦点を定めないまま、半分惰性、半分訓練で三か月ほどブログを更新し続けてしまった*1。これは、とても良くないことだ。
 
 今年のp_shirokumaの抱負は、まず、自分が一体ブログで何をやりたいのか見つけ直すことだ。私は、ここで何を求めるんだろうか?
 

*1:知己のブロガーの人との往復書簡だけが、唯一生き生きとした時間だった

シロクマ(熊代亨)の著書