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シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

所属欲求とはてな村

ブロゴスフィア 執着

 
 それって本当に承認欲求?――群れたがりな私達 - シロクマの屑籠
 
 リンク先では所属欲求の例として2chニコニコ動画を挙げたが、はてなユーザーとしての私は当然、はてな村(その実態は、はてなブロゴスフィア)についても言及したくなる。なぜなら、はてな村のローカルコミュニティっぽさの相当部分が所属欲求によって支えられているからだ。
 
 
 1.はてな村はてなブロゴスフィアで所属欲求が一番読み取りやすいのは、はてなブックマーク上でのコミュニケーションである。
 
 はてなブックマーク上には、自分が主張したい事を主張するだけのブックマーカーもいるが、いわゆる常連ブックマーカーの挙動には、党派性やクラスタを意識したものも多い。村祭り的な記事に群がったブックマークコメントには、自分が村民であること・村の事情や歴史にコミット可能な人間であることを表明した発言や、一捻りしたメタ言及がとりわけ目立つ。
 
 村民ブックマーカーの挙動は、ある程度まで「ブックマーカー同士のなかで自分自身が目立ちたい・認められたい」的な、承認欲求に基づいていると考えて構わないだろう。しかし村祭りについての風俗誌周辺を観ればわかるように、自分自身が目立ちたい・認められたい一心でブックマークしている常連は決して多くない。村祭りの常連ブックマーカーの相当数は、ブックマーク上の空気を読みつつ所属性や旗幟をはっきりさせるために凝ったコメントをつけるのであって、スタンドアロンな承認欲求モンスターは多数派ではない。
 
 おそらく、所属欲求に動機付けられて多かれ少なかれコミュニティ意識を持ち得る人が、村民的意識を募らせていくのだろう。承認欲求が優勢で、所属欲求に基づいたコミュニティ意識を持ちえない人は、村祭りの祭壇(後述)に登りたがる例外を除いて村民的意識を維持できず、むしろ嫌悪する。正反対に、コミュニティに過大な要求水準を期待する人の場合も、いったん村民的意識に接近しようとしても、所属欲求を充たしきれずに去ってしまうものと思われる(し、そういう実例の一つや二つは村民諸氏ならご存知のはずだ)。
 
 
 2.はてなスターも、村民間のメンバーシップを刺激するアイテムとして機能している。
 
 はてなブックマーカー同士のスターのやりとり、とりわけ村祭りイベントに際して授受されるスターとは、承認欲求が注がれた杯のようである。お互いにスターを交換して承認欲求を充たし合うだけでなく、スターをつけてまわることで自分自身がメンバーの一員であること、つまり「私はあなたの仲間なんですよ(あるいは同クラスタなんですよ)」というアッピールの手段としても役立っている。そうしたアッピールを眺めていると、私は、村の忘年会でビール瓶を手にテーブルを駆け回る村民の姿を連想せずにはいられない。
 
 「feitaさん、お疲れさまでした!」「村長、今月は揉め事が豊作でしたね!」――そういった営みが高度にIT化されたものが、はてなスターの授受ではなかろうか。
 
 なお、はてな村は一応リテラシーが高い()ので、物議を醸すようなブックマーク会場では、立場やクラスタを重視したはてなスターが交換され、それはそれとしてブックマーク上の風景をつくりあげている。しかし、もっと和やかなエントリのブックマーク会場の場合は、同族意識や村民意識の読み取りやすいスターの付き方が目立つようになる。一例としてはてな村オンラインのブックマークをご覧いただきたい。これぞ村の酒盛りである。
 
 はてなブログ界では、ブログ読者同士によるはてなスターの付与も盛んだ。はてなブログ上のスターは、ユーザー同士の顔見せや心理的紐帯の成立にも一役買っている。ブロガー同士が仲間意識や同郷意識をとりもつ手段として、(特にはてなブログ上の)はてなスターはブックマークより手軽だ。このあたりは、はてなハイク上の経験がアーキテクチャ設計にフィードバックされているのかもしれない。
 
 
 3.これらの結果として、はてな村で顔を知られていくためのプロセスにも所属欲求は深く関わっている。もちろん、承認欲求に駆動されて“有名ブロガー”路線を進める人は、それはそれで顔が知られていくに違いない。しかし、はてな村で顔が知られていくための方法として最も有効・確実なのは、はてなブックマーク上で存在感を発揮することだ。状況に即したコメントを書き、注意深くスターを配っていれば、はてな村での存在級位は高くなっていく。まあ、下手に存在級位をあげてしまうと、そのぶん村の祭壇に近づいてしまうのだけれども。
 
 
 4.はてな村で所属欲求を充たしながら名が知られていく際、村内の所属クラスタや党派は、イデオロギーや主義主張だけでなく、カルマによっても決まりやすい。一般論としては、カルマが著しく異なる者同士が仲間意識を強く持つことはあまり無い。「類は友を呼ぶ」と言うように、カルマの清潔な者は清潔な者同士で仲間意識を持つことが多いのだ。ただしこれは束縛力の強いルールではなく、カルマの管理が甘い者と厳格な者が懇意な結びつきを持つケースがしばしば見受けられる――そういった結びつきの背景にある“力学”は、めざとい村民がチェックしている場合がある。
 
 
 5.はてな村で(村祭りの主役を担う等をして)渦中の中心に居続けるのは危険きわまりない。はてな村には村の祭壇があり、そこは村民ブックマーカー*1の注意が集まりやすい社交場になっているが、お立ち台で踊り狂っている者は、祭壇に祟られて自意識の心臓をくり抜かれたり“綿流し”されたりしてしまう。小島アジコはてな村奇譚』(インターネット民俗研究、2014)に描かれた村祭りのサーガも、祭壇の哀れな犠牲者と、それを取り囲む村民劇を記録したものと推定される。
 
 村の祭壇で踊り狂い、視線を集め続ける者は、幾ばくかのPV・若干の威信値・大きな村貢献度と引き換えに、1ターンに1~6ポイントの正気度を失う。ただし、所属欲求ではなく承認欲求が優位なかたちで登壇した者は、追加として1ターンに3~18ポイントの正気度を失う。こうしたペナルティはカルマの真っ黒な当事者だけでなく、善良そうなブログ記事を書いている当事者にも発生するので、清廉潔白なブックマーカーやブロガーも油断していけない。
 
 これまでの観察から察するに、正気度を失いながら村の祭壇にしがみつき続けた村民は、判断力を失うか生命力を失ってしまい、最終的に村の表舞台から消えてしまう。比較的穏当な場合も、威信値を大きく損なってしまうのは避けられない。判断力を失った村民プレイはカルマが上昇しやすく、これが災いして拭いがたい悪名を背負ってしまう場合もある。歴史を重んじるはてな村民の心には、そうしたアカウントの名前はいつまでも記憶される。
 
 
 6.このように、村の祭壇を使った“売名行為”はメリットもあるがリスクも大きい。しかし全ての利用者が祭壇で正気を失ってしまうわけではない。観察する限り、村の祭壇には以下のような傾向がみられる。
 
・最近カルマが急激に悪化した村民には強い影響を及ぼしやすい
・存在級位が急激に上昇した村民にも強い影響を及ぼしやすい
・所属欲求よりも承認欲求に囚われている村民のほうが影響が強まる
・村の役職に就いて3年以上経っていると影響が弱まる
・時間が経つと影響が弱まる(=登壇し続けなければ危険が少ない)
 
 これらの帰結として、村の祭壇は、身持ちの堅い村民生活を続けてきた村民を食べてしまうことが比較的少ない。また、カルマの真っ黒な村民プレイに慣れきったプレイヤーの場合も「蛙の面に水」が起こりやすい。はてな村選帝侯や村長職のような役職に就いている者は一層安全である。正気度の危険水位を察知できる村民なら、正気度が-10されたぐらいではビクともしないだろう。だが、村の暮らしに慣れていない者は正気度の低下に注意が必要である。
 
 ともあれ、村の風俗を研究するために村の祭壇に近づくインターネット民俗学者は、まず、はてなスターの杯を酌み交わし、ブックマークコミュニケーションに注力することで村のメンバーシップを獲得すべきである。そうすれば、身の安全を確保しやすいからだ。新しい報告者からの、さらなる村情報に期待したい。
 
 [参考]:『はてな村オンライン』の遊び方
 [参考]:はてな村奇譚 カテゴリーの記事一覧 - orangestarの雑記

 
 ――熊代トオル『所属欲求とはてな村』、インターネット民俗研究、2015
 
 ※あまり真に受けないでください。
 ※このおはなしはフィクションです。実在の(以下略)
 

*1:村民意識の乏しいブックマーカーはこの限りではない

シロクマ(熊代亨)の著書