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シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

さいきんの自意識潜水艦戦について

 
はてな村奇譚74 - orangestarの雑記
 
 リンク先では、おねえさんがシロクマにドングリを蒔いているいるけれど、飛びつくのはB!KUMAガールズのほうかもしれない。もし、どんぐりひとつひとつに小さく《承認欲求》《自己効力感》とか印字してあるなら話は違ってくるかもだけど――。
 
 それはさておき。
 
 ブログ作法や運営ドクトリンは決して一か所にとどまってはいられないし、とどまるべきでもない。ポリシーはあって良いけど、それを貫こうと思うなら一定の代償を支払うか、方法上の工夫が必要になる。だって、ブログも自分もインターネットの風向きも常に変化しているのだから。
 
 ネット越しに自意識の揺らぎを鑑賞する作法行儀にも、それが言える。同じスタイルのままというわけにはいかない。
 
 2014年の俺的トレンドは「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」だ。2chネットウォッチ板のコピペどおりだけど、ぐるっと回って落ち着いた。
 
 ギガンテスのような自意識を観測する場合、自分が言及*1したところで大した影響は無いかもしれない。観察対象の自意識のサイズが大きい場合や、特別な(あるいは病的な)心的傾向が明確な場合も、自分自身が言及したところでたいしたバイアスなど発生しないかもしれない。
 
 しかし、メタルスライムパペットマンサイズの自意識が対象の場合や、繊細な観測を必要とする場合は、言及することで存外影響が出てしまうおそれがある。生のままの自意識を鑑賞するのでなく、「シロクマが言及し、それに応えた自意識」を鑑賞する羽目になってしまうかもしれない。
 
 いけない!そういう目標にアクティブソナーを打っては台無しだ。傾聴!これこそが正解だ!聴音器に耳を澄ませ、小さな自意識の揺らぎを潜望鏡で観察し、じっとしているのだ。自分自身がバイアスの源になり得るのなら、自分自身が観察に徹してしまえばそれで良い。
 
 これは、私自身の自意識という第二の(そして最大の)バイアスを考慮した遊戯ではないので、観察対象のプロフィールを精緻に捉えたい時には、私自身の自意識による歪みの補正(または最小化)も必要になる。だが、観察対象の自意識と私自身の自意識との共鳴反応を楽しむだけなら、そのような補正は要らない。私の自意識の軋みや逆転移を増幅器にすることで、微かな自意識の揺らぎをくっきりと察知しながら、独りで悶絶していればそれで良い。
 
 また、直接言及を行わない自意識の観察は、一時に多くの鑑賞対象をカバーするにも適している。言及してしまうと、どうしたってフォーカスが絞られてしまう。そうした煩わしさを避けるためにも直接言及を避けるに越したことはない。
 
 
 

「ソナー、打ちますか?」

 
 とはいえ、パッシブな観察だけにとどめておくと、いつまでも判然としない事も多い。結局、直接に言葉を交わしてみなければ読み取れないこともたくさんある。だから、アクティブソナーを打ち込んで対象を観察するのも黙って聴音器に耳を澄ませるのも一長一短で、どちらが良いとは断言しづらい。
 
 いずれにせよ、娑婆世界には無限潜水艦戦のような側面が備わっているので、昨日も、今日も、明日も、ソナーの刻む“カーン”“カーン”という音がインターネットに響き渡るのだろう。私の自意識の音紋も、少なからぬウォッチャーに確かめられているに違いない。北極海の氷の下には、アザラシと潜水艦が無数に蠢いている。
 
 

*1:言及と書いて「おさわり」と読む

シロクマ(熊代亨)の著書