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シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

《香菜、頭をよくしてあげよう》について今更気づいたこと

  

香菜、頭をよくしてあげよう

香菜、頭をよくしてあげよう

 
 ふと、目が覚めて気付いたことを書く。
 (気付いている人は気付いていることだと思うので目新しい話ではないのでご容赦を)。
 
 筋肉少女帯の《香菜、頭をよくしてあげよう》は、サブカルに詳しい「僕」が「無邪気」で「犬以下」の香菜に、カルトな映画や泣ける本などを教えてあげて頭を良くしてあげよう……というキツい歌だ。うわー、サブカルな「僕」ってひでえ奴だなー、でもこういう男子っているよなー、とか思っていた。
 
 が、今朝はそこに目が向かなかった。
 
 ふと目が向いたのは、「僕」が「香菜が生きていくことに怯えないために」頭をよくしてあげようと言っているところだ。
 
 香菜自身は、無邪気に笑ってジャムパンを食べているような人だから、生きていくことに怯えているようにはみえない。少なくとも現段階ではそうだ。だが、「僕」は生きていくことに怯えるというワードが想起されるぐらいには、生きていくことに怯えている。そうだ、怯えているのはこの「僕」なのだ。
 
 「僕」は香菜のなかに「生きていくことに怯えている自分自身」を投影*1しているのではないか。
 
 そうやって考えると、サブカルをやって頭をよくしようとしている「僕」がサブカルをやっているのは、生きていくことに怯えないように=生きていくことへの怯えを少しでも減らすため だったのではないか。
 
 ここまで考えると、女子にサブカル知識をうんちくたれて「彼女のため」などと言っている「僕」が、気の毒になってきた。
 
 「サブカル男子にうんちくを押し付けられる女子」が気の毒なのは確かだが、「生きていくことに怯えないために頑張っているサブカル(あるいはオタク、マニアでもいい)」というのも、それもそれで凄絶だ。
 
レティクル座妄想

レティクル座妄想

 

*1:投射

シロクマ(熊代亨)の著書