2000年頃からずっと思い続けてきて、なおかつ時間が経てば経つほど確信せざるを得ないことがある:それは、いつもいつでも語尾にwをつける習慣がついているアカウントは、自分の発言に逃げ道を用意しておきたいヘタレである、ということだ。
ただし、例外はあって、ニュー速vipの独自文化と、ネトゲのチャットのように「早指しが必要なのでメッセージを簡略化するインセンティブが明確な場合」。しかしそうでない場合は、語尾にwをつけることを愛好している人間を見たら、「この人はヘタレなのかなぁ」「どうしてこの人はwを語尾にわざわざつけるのかなぁ。その動機は何なのかなぁ」という点をよくよく点検する価値があると思うし、その発言の重みについて十分な検討が必要のようには思える。
これを私が書いたのは2010年頃と思われる(記憶媒体の最下層から拾ってきた)。その後、wをtwitterなどの短文の語尾に頻繁につける人達は、やはりエクスキューズを常に残しておきたがる人のようにみえる。他方で、wやwwwwの用法はネットゲーム的・2ちゃんねる的なネット民俗を逸脱し、かなり幅の広い使われ方をするようになった。wやwwwwを語尾につけている人が精神的に必ず逃げたがりとは限らない。しかし、アカウントを15分も精読すれば、文章は、その人物の構えや佇まいを滲み出させてやまないのだから、この識別法がダメになったからといって、インターネットがそのぶんややこしくなったとは言えない。