シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

もしもポエムが書けたなら――orangestarさんへの私信

 
(私信めいたもの)少子高齢化、ロードサイドの話になると、シロクマ先生はどうも歯切れが悪い - orangestarの日記
 
 replyありがとうございました。ついでに、ブックマークコメント等で様々な考察や文献を示して下さった方々にも御礼申し上げます。
 
 江戸期の人口動態だけでなく、産業革命後のイギリスなども含めて、「世代再生産の輪から外れた若者」が都市に一定数存在していたのは、そのとおりと思いました。「世代再生産と居住空間」の関係について、私はもっともっと知りたいのですが、気にしている領域をまとめた書籍に巡り会いきれていないような気がします。ともあれ、今すぐ結論を出す必要も無いので、時間をかけてみようと思っています。
 
 
 それより、「なぜ、少子化や国道沿いの話で歯切れが悪くなるのか」とorangestarさんに問われたので考えてみます。
 
 第一の理由は、ファスト風土的空間や都市空間が人口動態に与える影響を、私がまだまだ調べ足りない・食い足りないからです。
 
 最近、ファスト風土や世代再生産についてブログに書いている内容には、今、資料を集めている最中のものや、ジグソーパズルのピースが足りないと感じるものが含まれています。むしろ、ブログに寄せられたコメントやトラックバックを参考に、次に何を調べようか試行錯誤している最中といいますか。結論の出ている事や、オピニオンが定まっている事なら、もうちょっと断定的な書き方もできるでしょうが、物足りなく感じている部分が色々あって、それが歯切れの悪さの一因にはなっていると推定します。
 
 断っておきますが、私のライフワークは、あくまで現代人それぞれの社会適応とコミュニケーションの問題です。マクロな社会全体の問題は二の次、三の次のはず……なんですが、ミクロな個人の社会適応を追いかけているうちに、現代の世代再生産や居住空間について、知っておかなきゃまずいと感じるようになってきたんですよ
*1。人間の精神は、時代や空間の影響を否応なく受けるものですから。
 
 
 第二の理由は、それらに対して複雑な思いを抱えているので、黒なら黒、白なら白、という風に断定的なことを書きにくいんです*2。私はファスト風土をある面では憎んでいるし、ある面では愛しています。「憎んでいるし、愛している」ということは、のっぴきならぬほど愛しているということでしょうか。
 
 私は、画一的な商業空間と圧倒的なロジスティクスが、地方の風景を塗り替えていったプロセスを眺めてきたつもりです。新しくローソンやジャスコが建った時は、そりゃ嬉しかったですよ。「便利で綺麗な店ができたなー」って。ですが、地方の奥へ奥へと進出していく商業空間が、90年代後半あたりから再整理されはじめ、末端からうち捨てられていくのを目の当たりにするうちに、この、蜃気楼ごときネオンサインも永遠ではないと意識するようになってきました。
 
 他方、私は国道沿いのアメニティに依存しきっていて、そこを第二の故郷と感じてもいます。永遠ならざる商業空間と文化表象に、いつの間にか身も心も文化も任せっきり――そう自覚していてさえ、イオンやセブンアンドアイの恩恵に背を向けることもできず、愛憎入り混じった気分を抱えているのです。そんな自分自身を、「母親に依存しているくせに母親を悪しざまに言う中学生のようだ」と自嘲しています。
 
 そうした個人的事情により、私は右往左往しながら少子化について書き、ファスト風土に言及している次第です。今、私がブログに書き綴っている文章は、どれも拙劣だったり、後で読み返したら苦笑したりするものかもしれませんが、そうやって少子化ファスト風土について考えること、言葉を捜すこと自体は必要だと思っています。気になってしようがないので、やるしかない。
 
 
 【もしもポエムが書けたなら】
 
 話が変わりますが、私は、少子化ファスト風土についてポエムが書きたくなることがあります。この、愛憎入り交じった、喜びと哀しみの化合物を表現するのに適しているのは、論説文じゃなくてポエムや小説だとも思うのです。「もしもポエムが書けたなら」。でも、今はそういう事をやっている余裕は無いので、他の人が綴った作品を読むつもりです。
 
 エモーションを他人に伝える力のある人がちょっと羨ましい、今日この頃です。
 

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

 

*1:同様に、テクストとメディアと表象の問題もどうしても避けて通れないっぽいので、自分なりに調査中です

*2:ファスト風土については特に

シロクマ(熊代亨)の著書