シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

クリスマス爆砕的な話について

 
 クリスマス爆砕デモとか、そういう活動を笑っていた時期はあるし、今も幾ばくか「なにやってるんだか」的な思いはあるけれども、その一方で、クリスマスの「恋人と過ごせなければ人にあらず」的な風潮の衰退はうれしくもあり、そういう「トレンド」を流行らせてきた呪術師達の呪縛がようやく解けてきたことには、快哉を叫ばざるを得ない。
 
 なにが「クリスマスには恋人同士」だ!なにが「クリスマスはホテルを予約」だ!明らかに日本独自の、資本主義と個人主義の化合物に過ぎないジェリービーンズ的な思い込みを、さも、社会常識のごとく触れ回り!ああ、一時期の俗悪な“聖夜”(ウンコー!)を、サンタクローチェはどのようにご照覧あそばされることか。そしてこの“聖夜”通俗観念によって、いかほどに多くの男女が劣等感や罪悪感のあぎとに囚われたことか!
 
 そういった通俗観念的な“聖夜”とは、あってもいいが、トレンドや社会常識であってはならない、馬鹿げたことだ、11月にボジョレーヌーボーを拝み倒し、もっと良いワインをないがしろにするのと同じぐらいふざけたことだ。幸い、積年の変化によって、このクリスマスの悪しき思い込みは次第に緩和されつつある。ジャパニーズ・クリスマス(全くキリスト教的ではない!)は爆砕されていないが衰弱しつつある。誠に結構、そうした思い込みの彼岸に人の幸福があれば良いと思う。そして敬虔な日本のキリスト教徒の人達は、敬虔なクリスマスを迎えて頂きたいと願う。
 
 そもそも恋愛や配偶に関わる領域を、若者から銭金をかき集めるシステムへと誘導した“あの呪術師達”がいけないのである。売ってはいけないものを彼らは売り物にした。商売にした。
 
 いや、資本主義社会とは、社会が神によってではなく資本によって執り成されるとみなすイデオロギーであり、資本による平和ということだから、拝金主義者にとっては、これぞ正しき信仰というものだろう。しかして人は拝金によってのみ生きるにあらず、拝金によってのみ配偶や恋人関係が成立するでもあらず。あってはいけなかったんだよ!!だが、全てが拝金的となった今日において、クリスマスとは正しく資本主義の神を寿ぐ行事であり、また行事でなければならなくなった。キリスト教に関連した行事である以前に、資本主義の神を寿ぐ行事へ!日本にはキリスト教的下地が無いからこそ、クリスマスは正しく資本主義の神に供物を捧げる行事となった。さあ、この1ホール5000円のショートケーキを涙を流しながら食べよう!「神は偉大なり!(アッラーアクバル!)」
 
 ジャパニーズクリスマスは爆砕されないし、クリスマス爆砕デモを行っている人の営みが有意かどうかはわからないが、さしあたってジャパニーズクリスマスに俗悪な拝金主義的手垢が次第に薄まりつつあること自体は、そんなに悪いことではないと思う。もちろんこう考えること自体が資本主義の神に対する背徳であり、敬虔な資本主義徒においては「馬鹿なこと言っちゃいけねぇ、クリスマスには普段食べないごちそうを食べて、ケーキを買って、シティホテルを予約するのでなければ罰があたるぞ」といったところなんだろうけれども、私は不真面目な資本主義徒なので、神に対する崇拝の姿勢が少しゆるくなってくれれば、ありがたいものだなぁ、と思わずにはいられないのです。
  
 神の世から、ゼニの世になった今、資本主義の神にどうこう言うのはきわめて罰当たりで、破門されかねない思想だとは思うけれども、クリスマスというキリスト教徒に関連した行事に免じて、どうかご容赦くださいませ。
 

シロクマ(熊代亨)の著書