読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

執着の鑑賞について

ブロゴスフィア

 

はてな村奇譚56 - orangestarの日記
 
 懐かしい!2007年頃のp_shirokumaが蘇ったかのようだ!
 
 それは置いといて。
 「言及しましたね!」「それがあなたの執着ですね」メソッドについて、今思っていることを書き殴っておく(=私の執着を垂れ流しておく)。
 
 『Fate/Zero』のギルガメッシュ言峰綺礼のやりとりでも描かれたとおり、言及量の多寡が、その人の執着や興味を何らかの形で反映している、というのは確かだと思う。自由な発言・自由な想像・自由な選択が可能な場面ほど、そうなりやすい。
 
 で、インターネット、である。
 
 ブログやtwitterに何を書くのか、何を表明するのかは個人の自由に委ねられている。ちょっと前に、誰かが「インターネットは無意識の集まり」みたいな事を言っていたけれども、端末の前に座っているネットユーザーに好きな事を書く自由が与えられている以上、それはあながち間違っていないと思う。ネットには、自由連想法の大集合のようなところがある。
 
 もちろん、「書かれたもの」「表明されたもの」だけが執着の対象とは限らない。人間は、自分の執着にブレーキをかけることだってできる(できないこともあるけれど)。だから、ネット上の書き込みだけで個人の執着を全把握したつもりになるのは巧くない。けれども、自由環境下で表出されたものは、少なくとも表出されたという点においてなんらか執着の対象になっている可能性は高い。饒舌な表現・凝った趣向・金銭や世俗的報酬とは無縁な骨折り……といった条件を伴っているなら特にそうだ。
 
 [関連]:あなた、言及しましたね。 - シロクマの屑籠
 [関連]:言及スカラー測定法に基づく機銃掃射 - シロクマの屑籠
 
 だから、ブロガーの執着を眺めるにあたり、自由環境下で書かれた文章、とりわけ金銭的・世俗的インセンティブとはほぼ無関係に湧出した文章を見かけたら、そこには執着の気配が宿っていると読んで差し支えない。
 
 とはいえ、執着があるとバレたところで、普通の人は困るまい、と思う。だから「言及しましたね!」「それがあなたの執着ですね!」と言われたら、
 
 [関連]:「言及しましたが、何か。」 - シロクマの屑籠
 
 「言及しましたが何か。」「私、関心があってしようがないんですよ」と答えてしまえば何も問題は生じない。無意識のうちに関心や執着が高まっているけれども、なんらかの事情によってそれを認めるわけにはいかない人だけが、この、退屈な問答に不安や苛立ちを感じ得る。
 
 私は人間の執着が好きなので、このブログ記事もまた、そのような執着に基づいて書かれているはずだ。私は、乙女の頬のような執着も、こんがりキツネ色に焼けた執着も、執着を醸造してつくったネクタルも好きだ。ただ、全ての執着が好きなわけではなく、そのあたりについてはいずれまとめてみたい。が、ここでは、人間の執着と、人間が執着を持つという現象を、讃嘆しておきたい。
 
 
 【ただ眺めているだけで心が充たされるのです】
 
 最近私は「言及しましたね!」をやらなくなった。やらなくなった理由は、ネットコミュニケーションを巡る情勢が変わってしまったからでもあるし、往時のd.hatenaの世界のような「空気」「コンテキスト」が消失したからでもある。自分の執着に正直な人が増えたってのもある。
 
 アフィリエイトをはじめ、ブログ執筆のインセンティブとして金銭的利得や世俗的利得が大きなウエイトを占めるようになってきたのも、「言及しましたね!」をやりにくく、つまらなくしてしまった。お金のためのブログや世俗的利得のためのブログは、そのあたりがインセンティブとなっている割合がどうしたって高い。承認欲求の超新星を欲しがっている人なども、自分が好きなネタをブログに書くというよりは、大向こうにウケそうなネタをブログに書く可能性が高く、検出される執着が「承認欲求に飢えてます」だけで、ちっとも面白くないことがある。
 
 そんなテンプレート的な執着は、眺めていてもそんなに面白くない。
 
 個人特有の心の襞が透けてみえるような、きめの細かい執着が味わい深いのに!
 
 私は、大柄な執着より、小粒でも起伏に富んだ執着、とらえどころのない多面体のような執着が好きだ。そういう執着なら、見ていて飽きることがない。でもって、そういう執着は「言及しましたね!」などとわざわざ指摘するまでもなく、遠くから眺めているだけで幸せになれるし、それ単体がネットの人間文化財のようなものだと思う。愛そう!執着を!執着をかかえた業の人を!
 
 ネットには、瑞々しい執着を示してやまない自由なブログや、プロな書き手なのに余計なことを垂れ流さずにはいられないアカウントもまだまだ珍しくない。捨てたものじゃないと思う。
 
 
 【今後の展望】
 
 小粒でも美しい執着、光をあてると色が変わるような執着、魔法少女の祈りのような執着、あたりをきっちり視界におさめておきたいな、と思う。インターネットには、美しい執着や祈りの言葉がまだ埋もれている。欲しがり過ぎる必要は無いけれども、知見を豊かにする余地はまだまだ残っている。
 
 
 【追記】
 
 こういう話題に慣れていない人もいるかもしれないので、ちょっと補足。執着は、観測を繰り返したほうが良い精度で観測できるし、少ない観測で断定するのは難しい、というより無謀に近い。だから、美しくて珍しい執着を見つけたかな?と思ったらできるだけ長く観測し続けたほうが良い。しばしば、素晴らしい執着と思ったものが半年ぐらいで色褪せたり失速したりすることがある。何年経っても輝きを失わない執着、いつまでもクジャクの羽のような艶のある執着は、本当にかけがえがなく、拝みたくなってくる。そういう顕現をこそ、愛したいところ。
 

シロクマ(熊代亨)の著書