シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

ローカルコミュニティの「村っぽさ」について考える

 
 
 はてな村の変遷
 はてな村反省会2014に参加して - 日毎に敵と懶惰に戦う
 
 ※言及リンクをいっぱい並べたい気もするけど、今回はそういう主旨ではないので、省略します。
 
 
 「はてな村反省会2014」というオフ会に行ってきました。
 
 何をもって「はてな村」と呼び、どこまでを「はてな村」と認定するかには個人差があるでしょう。先日のはてなブックマークオフ会だって、「2014年のはてな村」と呼んで構わないものだと思います。
 
 私が今回参加した「はてな村反省会2014」とて、「はてな村」という言葉を知っている全ユーザーが思い描くイメージどおりのものではない、と言えます。もう少しきちんと表現するなら「(株)はてな のサービス上で00年代に自然発生したコミュニティに参加し、人間模様や事件をなんとなく共有してきた者同士によるオフラインミーティング」あたりでしょうか。オフ会のタイトルも、「反省会」じゃなくて「同窓会」のほうが内実に適っていたかもしれません。実際、昔話に花が咲いたのですから。
 
 そういえば、会場では「お互い、歳をとりましたなぁ」的な詠嘆も聞こえてきました。これじゃあ、“老人の集い”と揶揄されても仕方ありませんね!でも、私は素晴らしいことだなぁと思いました。だって、「お互い、歳をとりましたなぁ」と言えるぐらいには、長い付き合いというか、相応の文脈が存在しているんですよ?
 
 機会があったら、囲炉裏端に集まってオフ会をやってみたいものです。
 鮎や岩魚の串焼きをかじりながら、昔話に耽るのです。
 
 そのためには、オンラインでもオフラインでも生存し続けなければなりません。昔話に耽るためには、昔話ができる程度には長生きしなければならない。死者には昔話の権利が無いのです。
 
 「生きて再びオフ会でまみえるということ。」
 
 かけがえのない、ありがたいことです。来年も、再来年も生き残っていたいけれども、お互い、生き残っていられるという保証は無い。けれども、これまでは共に生きてきたのだ、だから戦友よ、ライバルよ、生きていたらまた会おう!どうかその日までお元気で!――ネットで同じ時間・同じ空気を共有している人間が存在し、緩やかなコミュニティ感・同窓感覚を持って集えることを、私は嬉しく思います。
 
 
 【もし、今回の集いに「村」っぽさを見出すとしたら】
 
 話は変わりますが、今回の集まりは、なるほど「はてな村」という表現がしっくりしていたと感じます。ネットコミュニティの馴れ合い自体は、どこにでもあるものだと思いますが、全ての馴れ合いが「村」っぽいかというとそうではありません。
 
 「村っぽさの」基礎条件は
 
 1.コミュニティのフレーバーを形成する“麹”のような中核人物が何名か存在していること。
 2.コミュニティの流動性が激し過ぎないこと。長期間コミュニティに参加し続ける面子がそれなりの割合で存在していること。
 
 あたりでしょうけど、くわえて重要なのは
 
 3.歴史の共有。後からコミュニティに入ってきた人間も、自分が参加する以前の出来事や人物について、伝聞程度のレベルで聞き耳を立てて、なんとなく知っていること。
 
 のような気がします。
 
 例えば、今回のオフ会参加者には、2005~2007年頃に(株)はてな のサービスを使い始めた人間がかなり混じっていました(私もその一人です)が、2004年以前にコミュニティ内で起こっていた事件も案外聞き知っていたりするのでした。又聞き程度の曖昧な知識でしかないのですが、それでも「2005年以前にコミュニティ内で起こった出来事」が一応伝承されているのです。
 
 そうしたサーガは、古いメンバーから新しいメンバーへと、オンライン/オフラインの集いの場で伝承されていきます。今回のオフ会もまた、そのような伝承の場として機能したことでしょう。古いメンバーだけでなく、中堅、若手といったメンバーも、最古参が語って聞かせるサーガに耳を傾け、やがて自分自身も経験当事者として語り部と化していく……これを、村と言わずになんというのですか。
 
 こうした、歴史文脈の形成と伝達が起こるようなローカルコミュニティこそが、村的な容貌を呈していくのでしょう。オンライン/オフラインを問わず。ただし、そういう歴史文脈だの古老のサーガだのといった要素は、新規参入者を躊躇わせ、コミュニティ外の人間に違和感を与えるものなので、世代を超えて伝わることは無いかもしれません。また、伝える“べき”とも思いません。ただ、歳を取っていく幾人かの心には、深く刻まれ、思い出になっていくのは確かです。
 
 ネットビジネスとも名誉とも無関係な、小さなオフ会でした。外に向かって誇るような集いでは無かったと思います。でも、コミュニティのメンバーにとっては、ひとつひとつの語らいが生きた時間の確認だったり、サーガに耳を傾けるひとときだったりしたはず。また機会があれば参加したいものです。
 

シロクマ(熊代亨)の著書