シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

隠居さん、シロクマの屑籠からリンクしてもいいのでしょうか

 
http://ertedsfdsddty.hatenablog.com/
 
 前略
 
 隠居さんのブログはとても面白いし、時折、私へのメッセージも書いてもらえてうれしく読ませていただいているのだけれど、面白いがゆえに、「シロクマの屑籠」のブログ記事のとっかかりというか、一種の「掛け合い」をやりたいという欲求に駆られてしまうことがある。
 
 ただ、隠居さんは、その名前のとおり、隠居しているわけだから、「シロクマの屑籠」に引っ張り出すのは不適当ではないかと懸念したくもなる。隠居さんが「もっと多くの人に読んでもらいたい」のか「できるだけ隠遁生活を続けたい」のかは、ご本人のなかでは割とはっきりしているのかもしれないけれども、一読者である私からみると判然としない。相矛盾したメッセージが発信されているように読め、この矛盾が意図的なものなのか、無意識のうちに顕れているものなのか、判断を留保せざるを得ない。
 
 なので、もし、シロクマの屑籠からリンクして構わなければ、この記事にリンクをつけるか、はてなスターの緑をつけてください。リンクをするのを避けたいか、特に意見は無いということでしたら、無反応か、はてなスターの黄色をつけるか、どちらかにしてください。後者の場合は、隠居さんとのチャンネルは、このシロクマの粘土板に留めておくつもりです。
 
 草々
 
 ※2018年5/15の午後6時過ぎに、緑スターがついているのを確認いたしました。なので、折を見てですが、シロクマの屑籠側からリンクする日が来るかと思います。よろしくお願いいたします。
 

隠居さんへ

 
ネットにおける自由とやら - 「隠居」
 
 こんにちは、隠居さん。シロクマです。
 
 いきなりシロクマの屑籠で返信してしまうと面倒っちいことになってしまうかもなので、こちらで、手短に。
 
 ご指摘のとおり、リンクいただいた記事は第一に「私のインターネット」の話です。ネット上の振る舞いに拘束力を感じる人もいれば感じない人もいるでしょう。というか、たとえばはてなブックマークで何かモノ申す人の大半は、私が論じている問題を問題として意識する「必要が無い」のではないかと思っています。
 
 差し迫った必要がある人と、必要が無い人では、インターネットに対する構えは違ってきますし、それを論じた話への温度も違ってくるかと思います。それは人それぞれであり、人それぞれのポジションに基づいた見地とも言えますね。もう一歩進んで、「それはシロクマのポジショントークだ」と言われたら、はい、そうですが何か、と開き直らなければならないところはあるでしょう。あるいは、かつてコンビニ店長という人が曝されていた状況についても、あの人の曝されていた状況というポジションにまつわるお話なわけで、実際にそのような文脈を共有する必要のない人のなかには、どこまで行っても「知らんがな」で済ませる向きがあるのは致し方ないことでしょう。
 
 ま、そんなことはさておいて、私には夢がありましてね。
 
 私は、社会と社会における適応の現状を、もっと自由に論じたいと思っていたりするのです。そんなことができるのかどうか、自分の頭と寿命と星の巡り合わせのなかでチャンスがやって来るのかどうか不明だけど、「社会ってのは、本当はこんな風になっていて、今日の日本人の適応はかくかくしかじかの理由でできあがっている、日本の衰退も、それを土台として起こっている当然の帰結である」ってな話を出来るだけ真面目にやりたいのですよ。
 
 だけど、社会と社会における適応の現状、私が見ているやつと、世間の人が論じているやつ*1には大きな乖離があって、私が見ているやつって本当はおくちにチャックな案件なのかもしれません。私は、私が社会をウォッチしている対人・対物レンズが映し出していることを、そのまま書いたら過去のコンビニ店長という人に近い境遇に追い詰められるのではないかと、いくらか懸念しています。
 
 言い方を換えれば、最近、私が社会や人間をウォッチしていることや考えていることは、世間一般(それこそ、インターネットの不特定多数が形成する正論や世論)からは許容されない、忌み嫌われるものではないかと、自分のことを疑っているということです。だから私は、今日のインターネットでは、意識を働かせて、正論や世論から逸脱しないよう、逸脱するとしてもし過ぎないよう、神経を働かせておかなければならないのだと思っています。でもって、これが疲れるものだから、前に比べてインターネットをやりたいという気持ちが減りました。自己検閲に割かなければならないエネルギーが本当に増えたのですもの! 正論や世論やはみ出さない人や正論や世論をはみ出したことを主張したがらない人は、こういうエネルギー損耗のたぐいに直面しないので、あいつ何言ってるんだ? 程度にしか思わないでしょう。 それか、正論や世論から逸脱しているおまえの頭が悪い、ぐらいに考えるか。
 
 だけど、少なくとも現在の私は、インターネットを行儀良く続けなければならないのです。それがシロクマのブログ大戦略ってやつですから。リテラシーの帳尻合わせにエネルギーを損耗させながら、ついでに自分の書いた記事にやすりがけをしながら、インターネットを続けていく。馬鹿げたことのようにも思えますが、まだ自分は、インターネットを(そしてインターネット人生をも)やめるわけにはいかない。だからつとめていきたいと思っています。隠居さんについては、現れたり消えたりを繰り返しつつ、何らかのかたちでコンタクトがとれるような状態が続いていけたら嬉しいなぁと個人的には願っております。
 
 どうかお健やかで。
 

*1:つまり、もしかしたら私に似たものを見ているかもしれないけれども今日の秩序のなかでは論じてはいけないから論じていないだけである可能性も疑われます

はてな村的なものとアメブロ的なものが合わさった時、炎の虹が生まれる(2015)

 ★注:以下の文章は2015年頃に作られたとおぼしきものだ。その前提で読んでいただき、はてなブログ周辺の景色の変化と諸行無常に合掌していただきたい。
 
 
 最近、ぽつぽつ目に入るようになってきたように思うんですよ。
 
 はてなブログの一角で平和に暮らしていたブログが、何かのきっかけで注目を集め、ホットエントリに登録される。で、そのときに大量のはてなブックマーカーにあれこれの(大抵は否定的な)コメントが大量について、精神的に飽和状態になったり、すっかり嫌になってしまったり……といった事例が。
 
 はてなブログが開設されて数年経ちました。はてなブログはてなダイアリー以上に多種多彩なユーザーを含み、あまり目立たないはてなブログのなかにも様々なブロガーが存在しています。
 
 そうしたブログのなかには、はてな村的なもの、あるいははてなブックマーク上で連日のように繰り広げられている、“いわゆる”はてなブックマーク的なものとは無縁の日々を過ごしている“日記”や“考察”を綴ったものも少なくありません。他社のブログサービス、それこそアメブロ楽天ブログに行けば幾らでもありそうな、そういう長閑な光景も案外広がっています。
 
 しかしはてなブログとは、はてなブックマークを中核としたはてな村的なインターネットコロッセオに隣接した区画なのでした。ちょっとした繋がりによって、“リテラシーの高い”はてなブックマークユーザーの目に留まった時に、火の手があがってしまうことがあるのですよね。
 
 古いロールプレイングゲームのなかで、雨雲の杖と太陽の石が合わさった時に虹の橋がかかる、というイベントを観たことがありますが、現在はてなで見かける風景は、さながら、古参はてなブックマーカーと新参でアメブロっぽいはてなブログがあわさった時に炎の橋がかかる……といった趣があります。私としては、惹かれるような、いたたまれないような、なんともいえない気持ちで胸がいっぱいになります。
 
 PVやアフィリエイトの面で、はてなブログアメブロ楽天ブログより有利な場所かもしれませんが、ここは、はてな的インターネットコロッセオと隣り合わせの、殺伐とした土地、容赦の無い文化の土地なのでした。ほかのブログサービスからはてなブログに引っ越して来る人には、「はてなの門をくぐる者、一切の甘えを捨てよ」的な、注意を喚起しておいたほうが良いのかもしれません。それは冗談としても、はてなブックマークが網の目のように張り巡らされた、この独特なインターネット文化圏の面倒くさい部分には、気をつけておいてもらったほうがいいのだろうとは思うのです。
 
 こうしたインターネット文化圏の違いによるコンフリクトはもちろん今に始まったものではなく、はてなダイアリーが主力だった時代にもありましたし、2ちゃんねる等でもまま起こるものでした。とはいえ、2015年になってもその手のボタンの掛け違え、いや、引き千切りが起こってしまうのを目の当たりにすると、なんとも人間集団とは進歩しないものだなと思わずにはいられません。
 
 そういえば、先日完結したはてな村奇譚で、こんなフレーズが登場しました。
 

 はてなは今、大きく変わろうとしています
 上場を目指し、みんなが楽しめる安全で健全なサービスになろうとしています
 でもその時に失われるものもたくさんあります
 サービスを形作るのは結局それを利用する人たちです

http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2015/05/04/000000

 
 このフレーズを逆さ読みするなら、現在のはてな的インターネットコロッセオとは、みんなが楽しめるとは限らない、危険で不健全な場所なのかもしれません。そして、現今のはてなブックマーク上の“世論”をつくっている人達も、(株)はてな としては、ありがたいような、ありがたくないような、微妙な存在とうつっているのかもしれません。
 
 私もこのはてなダイアリーはてなブックマークを利用するようになって十年が経ち、そうしたはてな的インターネットコロッセオの是非を論じるには当事者過ぎるきらいがあります。だからその、外部の人との関わりのなかで旧来のインターネットコロッセオ的なものがどのようにまなざされ、評価されているのか、ちょっと耳を傾けたい今日この頃です。
 
 ★2018年から振り返ると、はてなブログの「サービスを形作るのは結局それを利用する人たち」も随分と移り変わりましたね。これから、はてなブログはてなブックマーク方面はどうなっちゃうんでしょうねえ。そういう「はてなブログの将来」を新年に語る人が、今年は私の観測範囲には現れませんでした。どこかでは盛り上がっていて欲しいと願います。
 
 

ブログとヌード

 
 
 よく、女性アイドルや女優について「どこまで脱ぐか」「体当たりの演技」みたいな話題が出てくる。脱ぐことによって注目度が上がったり、人気が変化したりするけれども、タレントイメージが変わるおそれもあるから、「ただ脱げば良い」ってものではない……といった話を耳にもする。
 
 たぶんブログも同じだ。いや、ニコ生主とかユーチューバ―も同じかもしれない。“脱げば”注目度があがる。人気も出るのかもしれない。だけど、脱いだことによって失われるもの・変質するものもある。だから「ただ脱げば良い」ってものとは到底考えられない。
 
 いちおう断っておくが、ここでいう“脱ぐ”とは服を脱いだ姿をネットに曝すっていう意味ではなく、比喩としての“脱ぐ”だ。“脱ぐ”に含まれるものには、プライバシーが含まれるかもしれないし、偏った性癖が含まれるかもしれないし、ときには政治信条も含まれるかもしれない。ただ、間違いないのは、
 
 1.“脱ぐ”ことによって人気を稼ぐ方法は沢山ある
 2.だけど“脱ぐ”手法を乱用すれば、そのアカウントのアカウントイメージが変化してしまう
 3.一度脱いでしまったら、誰かがそれを記憶し続ける
 
 ということ、だ。
 
 だからなんにも考えずに“脱ぐ”手法を繰り返していると、自分でも気づかなかった方向にアカウントイメージが変化してしまって、自分自身でもコントロールが困難に陥ってしまうことがあり得る。少なくともインターネットの過去事例を振り返る限り、“脱いで脱いで脱ぎまくって”どうしようもなくなってしまったアカウントというのはいる。
 
 “脱いで”注目を集める手法は、PVや承認欲求がどうしても欲しい時には、魅力的な手法に違いない。妙齢の女性に限らず、おじさんやおばさんでさえ、“狙って脱げば”十分すぎるほど効果が出る。【炎上→即PV】な昨今は尚更だ。だからこの話は、アカウントに注目を集めたがっている老若男女すべてに適用できる。
 
 ただし、“脱いで脱いで脱ぎまくって”注目を集めようとする人よ、やり過ぎるのはやめたほうがいい、やるなら計画的に、せいぜいパンチラぐらいに留めておきなさいな。これから先ずっと「私は全裸告白アカウントとして天寿を全うする覚悟です!」というのでない限り、それはやめたほうがいいし、仮にそのつもりがあるとしても、あれこれの危険をはらんでいることを予測しておいて欲しい。
 
 “脱ぐ”に限らず、人前に何かを表出するという行為・記録媒体上に投げかける行為は、必ず未来を産み出す一因子になっていく。だから本当は、ネットのような、誰彼かまわず記録し、露出し、読み取るメディアというのは、人の手に余る代物なのかもしれない。それでも私達は、twitterやブログやSNSを手放せず、“脱ぐか”“脱がないか”の決定を不断に迫られて、懲りるところが無い。ネットで調子こいているアカウントは、私も含め、なんと愚かなのだろう!
 

はてなブックマーカーには「泣いて馬謖を斬る」より「ザリガニの共食い」がお似合いだ

 
possession.hatenablog.com
 

良いマウンティングを見ると、はてなでマウンティング芸を完成させたguri_2氏のことを思い出す - あとのまつり

高いところに上がってマウンティングというのも楽しそうだが、足元を包囲されると泣いて馬謖が斬られる状態になるのでやめておく

2016/08/31 15:37
b.hatena.ne.jp
 
 id:REVさんは「泣いて馬謖を斬る」なんてセンチメンタルな言葉を使ってらっしゃるけれど、はてなブックマーク世界って、ブックマーク空間で高い高~いマウンティングをやっている人が川に落ちたら、みんなで石を投げて、棒で叩いて、昨日まで仲良くはてなスターをつけあっていたはずなのに、皆でタコ殴りにするような世界じゃないですか。
 
 ヒャッハーーー!!
 
 だから、「泣いて馬謖を斬る」よりも「ザリガニの共食い」って表現のほうが事実に即していると私は思いますよ。さいきんのインターネットリンチなんかもそうですが、人間の所業って言うより節食動物の所業じみていて、生命の脈動に圧倒されるような思いがしますね。
 
 してみれば、「ネットイナゴ」って良い比喩だったのですね。イナゴという、脊髄反射的な、佃煮にして食うぐらいしか用途の無いオンライン生命体が、はてなブックマーカー2ちゃんねらーの溜まり場から溢れかえって、最低のリテラシーと混じり合って、インターネット全体が大阿鼻叫喚地獄と化しているのが昨今の風景ではないでしょうか。
 
 ホホホーーーッ!!
 
 インターネットとは過酷な生存競争の場所ですね。こわいこわい。
 

「ブログの面白さ」について2016年5月に沸き起こった議論の一覧

 
 こういうの、一覧にして順番に眺められるようにアーカイブっぽくしておくと便利かなと思ったので、備忘録的にリンクを貼っておきますね。
  
 mubou.seesaa.net
 
 ことのはじまり。ここから色々な意見がズラズラっと出てきた。
 
 
p-shirokuma.hatenadiary.com
 
 私が書いたやつ。今読むと、マスケット兵のくだりはあまり良い比喩ではなかったと思う。ただ、言いたいことは言えたし伝えたい人には伝わったのかな、とも。
 
 novtan.hatenablog.com
 zuisho.hatenadiary.jp
 mubou.seesaa.net
 fujipon.hatenablog.com
 
 で、しんざきさんのお返事も含め、色々なオピニオンが集まってきた。みんな似ていることを書いているようで、重心も論調も微妙に違っていて面白い。一人一人の違いに注目するのも良し、全部の記事に相通じるものを抽出するも良し。ともあれ、一人だけで考えていてはここまで思念は広がらない。
 
 こういう、みんなで考えて意見を出し合ってああでもないこうでもないするのって、ブロガー冥利に尽きるところで、トラックバック無き今、こうやって気に入った議論はまとめて陳列しておいたほうが良いのかもしれない。自分一人で何かを考えているのとは明らかに違った、コミュニケーションを介して自分自身のビジョンが修正されていく感を存分に楽しめた。
 
 これからも、他のブログに言及し、他のブロガーに言及されるのを心待ちにしよう。そうやって、自分の脳味噌の風通しをちょっとだけ良くするのだ。そして、そういうコミュニケーションができそうなブロガーの人を、探して、お近づきになって、お話したいなぁと願う。
 

シロクマ(熊代亨)の著書