シロクマの粘土板

本拠地は「シロクマの屑籠」です。こちらは現時点では別館扱いです。

はてなブックマーカーには「泣いて馬謖を斬る」より「ザリガニの共食い」がお似合いだ

 
possession.hatenablog.com
 

良いマウンティングを見ると、はてなでマウンティング芸を完成させたguri_2氏のことを思い出す - あとのまつり

高いところに上がってマウンティングというのも楽しそうだが、足元を包囲されると泣いて馬謖が斬られる状態になるのでやめておく

2016/08/31 15:37
b.hatena.ne.jp
 
 id:REVさんは「泣いて馬謖を斬る」なんてセンチメンタルな言葉を使ってらっしゃるけれど、はてなブックマーク世界って、ブックマーク空間で高い高~いマウンティングをやっている人が川に落ちたら、みんなで石を投げて、棒で叩いて、昨日まで仲良くはてなスターをつけあっていたはずなのに、皆でタコ殴りにするような世界じゃないですか。
 
 ヒャッハーーー!!
 
 だから、「泣いて馬謖を斬る」よりも「ザリガニの共食い」って表現のほうが事実に即していると私は思いますよ。さいきんのインターネットリンチなんかもそうですが、人間の所業って言うより節食動物の所業じみていて、生命の脈動に圧倒されるような思いがしますね。
 
 してみれば、「ネットイナゴ」って良い比喩だったのですね。イナゴという、脊髄反射的な、佃煮にして食うぐらいしか用途の無いオンライン生命体が、はてなブックマーカー2ちゃんねらーの溜まり場から溢れかえって、最低のリテラシーと混じり合って、インターネット全体が大阿鼻叫喚地獄と化しているのが昨今の風景ではないでしょうか。
 
 ホホホーーーッ!!
 
 インターネットとは過酷な生存競争の場所ですね。こわいこわい。
 

「ブログの面白さ」について2016年5月に沸き起こった議論の一覧

 
 こういうの、一覧にして順番に眺められるようにアーカイブっぽくしておくと便利かなと思ったので、備忘録的にリンクを貼っておきますね。
  
 mubou.seesaa.net
 
 ことのはじまり。ここから色々な意見がズラズラっと出てきた。
 
 
p-shirokuma.hatenadiary.com
 
 私が書いたやつ。今読むと、マスケット兵のくだりはあまり良い比喩ではなかったと思う。ただ、言いたいことは言えたし伝えたい人には伝わったのかな、とも。
 
 novtan.hatenablog.com
 zuisho.hatenadiary.jp
 mubou.seesaa.net
 fujipon.hatenablog.com
 
 で、しんざきさんのお返事も含め、色々なオピニオンが集まってきた。みんな似ていることを書いているようで、重心も論調も微妙に違っていて面白い。一人一人の違いに注目するのも良し、全部の記事に相通じるものを抽出するも良し。ともあれ、一人だけで考えていてはここまで思念は広がらない。
 
 こういう、みんなで考えて意見を出し合ってああでもないこうでもないするのって、ブロガー冥利に尽きるところで、トラックバック無き今、こうやって気に入った議論はまとめて陳列しておいたほうが良いのかもしれない。自分一人で何かを考えているのとは明らかに違った、コミュニケーションを介して自分自身のビジョンが修正されていく感を存分に楽しめた。
 
 これからも、他のブログに言及し、他のブロガーに言及されるのを心待ちにしよう。そうやって、自分の脳味噌の風通しをちょっとだけ良くするのだ。そして、そういうコミュニケーションができそうなブロガーの人を、探して、お近づきになって、お話したいなぁと願う。
 

synonymousさん、そんな自分語りのツボ押さないでくださいよ

 

はてなブックマーク - 20世紀後半の結婚観と若者気分って“異常”だったよね - シロクマの屑籠

この先生の芸風、一種のネオフィリアに感じる。

2016/05/19 12:49
b.hatena.ne.jp
 
 たてこんでいるので簡単に。(id:synonymousさんへ)
 
 いつもブクマ愉しみに読んでます。ネオフィリアって、「新しいもの好き」みたいな意味だったんですね。勉強になりました。
 
 「p_shirokumaは新しいもの好きか」って、どうなんでしょうね。私自身が他の人にそう見えるのなら、他の人にとってそうだ、とは言えるのでしょう。トートロジーめいた話ですみませんが。昨今の精神医学は内面を慮るための技法ではなく、誰にでも観測できる現象を測定する技術で動いているわけですから、後者の技術的観測に則って考えるなら、過半数の人が「p_shirokumaは新しいもの好き」とみているなら、そうなんだと思います。
 
 ただ、私は自分ではそうではないと思っています。私は自分の生まれ育った郷里のライフスタイルや、今でもそこに住んでいて、30年前と意外と共通の価値観を持っている人達のことも好きです。と同時に、それらへの嫌悪、ヤンキー的なものへの憎しみ、都市部の生活への憧れも持っていて、要は愛憎半ばな人間なんだと、自分のことを思っています。どうしてこうなっちゃったのかは自分語りを長々と書かなければ説明できそうにないので今回は略しますが、グダグダとこんがらがった人間なんだと思っています。
 
 また、いずれ。
 

散ればこそ いとどブログは めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき

 

 
nectaris.hatenablog.com
 
 リンクを辿ってウロウロしていたらidコールされているのに気づきました。なので、お手紙を書いてみます。
 
 今回の“騒動”の経緯についてはnectarisさんが大筋をまとめて下さったので、振り返りたい時には便利そうだ思いました。備忘録として利用したいので、なるべくブログを消さないでください。
 
 さておき、今回の私は互助会・プロブロガーの是非について意見表明していませんが、無関係ではない文章は書いたつもりです。
 
 
 [関連]:ネットで有名になるリスク - シロクマの屑籠
 [関連]:インターネットは人生劇場で、アカウントは「おまいらの人生の物語」だ - シロクマの屑籠
 
 これらは、互助会ブックマークやプロブロガーの是非を論じてはいませんが、私自身のブログ大戦略と、他のブロガーのブログ大戦略について書いたものに相違ありません。
 
 そのことを踏まえて私見を申しますと、
 
 ・原則としては、どのようにブログを運営し、何を賭けて何を目指すのかは個人の自由と考える*1
 ・しかし私には私自身のブログ大戦略があり、それはブロガーとして生存し続けるには有効な手段の一つと考えている。
 ・ブログを書く目的が私のそれに近いブロガーは、私のブログ大戦略に近いストラテジーを選択することが有効と推定されるが、私のそれとは遠いブロガーにおいては、この限りではない。
 ・主観的には、私に似たタイプのブロガーが多い時代のほうが好みだったのは否めず、お金目当てにブログを更新するブロガーが目立って仕方がない状況は、必ずしも好みではない。
 ・だが、現在のブロゴスフィアにも楽しむ余地はある。
 
 といったところになるでしょうか。
 
 他方、hagexさんに心を覗かれた気がする文章をも見かけました。
 
 [関連]:プロブロガーという人生をかけた一発ギャグ - Hagex-day info
 
 あー、これに近いことは考えちゃうかなー。
 
 

ブロガーの命の蝋燭

 

 
 私は、自分自身も含めてブロガーの命の蝋燭をいつも気にしているつもりです。
 
 たとえ話になりますが、
 

 はてな村の山奥、新興住宅地からは遠く離れた某所には、ブロガーのステータスが一目でわかる命の蝋燭を司っている古刹があります。和尚様のおゆるしを頂いて秘密の部屋を覗いてみると、私も含め、たくさんのブロガーの名前が刻み込まれた真っ赤な蝋燭が、ゆらゆらと炎を揺らしているのですよ。
 
 蝋燭Aは、太くて長いわりにはチビチビと燃え続け、消える気配がありません。
 
 蝋燭Bは、細くて頼りなくて、隙間が吹くたびにゆらゆら揺れて危なっかしい限りですが、揮発性の高い成分が混じっているのか、ゴウゴウと勢いよく燃えています。
 
 蝋燭Cは、長らく燃え続けて限界に達したのか、燭台の底のほうで、かすかに残り火を点すだけになっています。
 
 蝋燭Dは、あまりにも激しく燃えていたので、和尚様が消化器で消してしまわれました。

 
 私は、ブロガーの命の蝋燭がゆらめいているのを眺めているだけでも退屈しません。ああ、命だ、命は力だ、このインターネットを動かす根源だ、と。そして蝋燭の炎のゆらめきは執着! 執着によって蝋燭は燃え、ゆらめき、ときには我が身を燃やしすぎて消し飛びます。
 
 リンク先でhagexさんがおっしゃっているように、人生の浮沈、ブロガーの浮沈にはドラマがあります。朽ちていく蝋燭のドラマが趣深いのは言うまでもありませんが、わが世の春を謳歌せんばかりに燃え盛る蝋燭にもドラマがありますね。
 
 散ればこそ いとどブログは めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき
 
 と同時に私は、ドラマとして・娯楽として彼らをウォッチしていられる良い立場にあるのではなく、私自身もまたブロガーであり、ブロガーである以上(そして人間である以上)、諸行無常と盛者必衰のことわりを逃れることができないと覚悟しなければなりません。
 
 はてな村の古刹*2に並んでいる蝋燭のなかには、私の名前も、あなたの名前もあるのです。それは哀しいことですか?それでもYESと言えますか?
 
 百獣の王・ライオンとて、老いて病を得ればハイエナの餌となって骨までしゃぶり尽くされるのと同じように、どんなブロガーも、いつかは衰え躓き、食いものや笑いものにされるのが定めなのだと私は覚悟しています。短慮にも生き急ぐをブロガーを笑うのは簡単だし、私は「彼ら」よりも用心深いつもりではあります。だからといって、私がネットのハイエナ達の餌食にならないかと言ったらそうではない。人目を集めないままひっそりと消えていけるなら幸福というもの、きっと私も、いつかやらかして、朽ちていくのでしょう。
 
 「猛き者もついには滅びぬ。単に風の前の塵に同じ。」とはブロガーにも言えることです。他のブロガーの成否を教訓として、一日でも長くブログを書き続けたいものです。そして命の蝋燭が残っている限り、その限りある命をなるべく良き目的のために、導き、守っていきたいと思います。
 

*1:スパムの問題、ネット知的財産の汚染問題はあるが、ここでは触れない

*2:古刹と書いてサーバと読む

なんとなく、『監獄の誕生』の一節を写経したくなったので

 素敵フレーズを見つけたら写経するとブログが上手になるかもしれないよ! ……なんて邪なことを考えるより、写経で心を落ちつけたい気分なので、疲れた身体に鞭打ってリアルフォースを叩くのである。
  

 ゲントの牢獄は、とりわけ、経済上の要請をもとに刑罰本位の労働を組織化してきた。その根拠となったのが、無為な暮しは大多数の犯罪の一般的原因であるという点である。1749年、アールスト裁判所管内で受刑者にかんして行われた調査――多分、世界で最初に試みられた調査の一つにちがいない――によると、犯罪者は「職人や職工」ではなく(労働者は自分に生活の糧をもたらす労働のことしか頭にない)、「物乞いに熱心な遊び人」であったのが明らかである。その結果、生まれた着想が、不法な振る舞いをする人間にたいして言わば労働中心の普遍的教育法を確実に実施するような施設である。それには長所が四つある。つまり、国家にとって高価につく犯罪捜査の数が減少し(そうなると、フランドル国では十万ポンド以上の金額が節減できるだろう)、浮浪者たちによって破産状態に陥れられた森林所有者への税金の減免を実施する必要がもはやなくなり、第三に、多数の新たな労働者がつくりだされ、その結果、「労働者間の競争のおかげで賃金の低下が生じるだろう」、最後に、真の貧乏人たちは、他の者と分かち合わずとも必要な施しに浴することができよう、というのである。かくも有益なこうした教育法は、怠惰な人物に労働の好みをふたたび植えつけるだろうし、労苦こそが怠惰よりいっそう有利となる利害体系のなかに強制的にこの者をふたたび位置づけるようになって、<生きんと欲する者は働くべし>という格言が明瞭に現れる、強制本位の縮約され単純化された小社会をその人物のまわりに形づくるようになるだろう。
 『監獄の誕生』、P125より抜粋

 刑罰のありかた・監獄のありかたを、経済的活用性や法のエフェクト効率性といった視点から紐解いていく書籍っぽいけれど、こういう面白フレーズがいっぱいで、単純に、読み物としての脂身やユーモアもたっぷりだ。「<生きんと欲する者は働くべし>という格言が明瞭に現れる」とか、いいよね!
 
 だいたい半分ぐらい読み終わったけど、フーコーさんの書くこと考えること、どれも面白くて面白くてしようがない。現代でいうエビデンスってやつにどこまで沿っているのかはともかく、過去の文献は惜しみなく引用しているし、その引用文献を組み合わせて顕わされようとしている力学、権力関係、コミュニケーション、枠組みが、稀有壮大にして陰鬱、ネチネチっぷりにも富んでいて素晴らしい。世評は既に聞いてはいたけれども、聞くのと読むのじゃえらい違い。フランス語原著で読める人は、もっとキラキラしたものを目撃できるんだろう。存分に楽しもう。
 

シロクマ(熊代亨)の著書