今日の写経。
「いかなる人間も方法ではなくて目的として取扱わなければならない」というカントの説が公式化されたのは、ちょうど、機械的産業が労働者を一つの手段として、すなわちより安価な機械的生産への一手段として扱いはじめた頃であった。人間は土地に対すると同じような冷酷な心で扱われ、労働は搾取され、掘りだされ、取りつくされて、結局は棄てられるべき一資源であった。そして労働者の生命と健康とにたいする責任は、日傭賃金の現金支払によって事終れりとされた。
人間はまるで蠅のようにふえ、産業適齢期の十歳から十二歳に達するとすぐ織物工場や鉱山で年期で使われ、やがて医者にかかることもなく死んでいった。旧技術期のはじめには、彼等労働者の平均寿命は中産階級のそれよりも実に二十年も短かった。そして過去数世紀にわたっておもむろに進行してきた労働状態の頽廃は、イギリスの実業家の狡さと近視眼的な貪欲のため、十八世紀のイギリスでそのどん底に達した。旧技術期にイギリスより遅れて入った国々でも、これと同じ無残な現象が現れたが、イギリスはその先頭に立っていたのである。
ルイス・マンフォード 著 生田勉 訳 『技術と文明』美術出版社、1972、P214-215より抜粋